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イザベラ・バード

私は南会津郡下郷町生まれです。
みなさん、イザベラ・バードというイギリス人女性の旅行家をご存じですか?
明治初期に日本奥地を旅行し私の生まれ故郷近辺も歩いていったようです。

数年前に新聞の日曜版でイザベラ・バード特集を組んでいて、その時に初めてこのことを知り、それ以来ずーっと気になっています。
どなたか情報をお持ちになっている方はいらっしゃいませんか?
お薦めの本がございましたらご紹介ください。

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コメントを数件いただきました。
「不思議の国のバード」という漫画をご紹介してくださった方がいらっしゃいました。
そして県人会上竹實様より同会の会津若松市ご出身の髙島良太郎さんが、会報第29集にイザベラ・バードについて寄稿しておられますとコメントをいただき、その会報誌をお送りいただきました。

そのご寄稿は、イザベラ・バード著「日本奥地紀行」をもとにしてイザベラ・バードが会津を訪れた場面が詳細に記載されていました。山王峠を越え南会津に入り大内宿の本陣に宿泊、大宅沼から市川峠を経て高田、そして坂下に至った、とのことです。
坂下の様子のくだりには驚きました。抜粋いたします。
「6月30日 坂下は田んぼの中にある人口五千人の商業町でみすぼらしくて汚く、じめじめしてうらぶれたところで、黒いどろどろした溝(どぶ)の発する強烈な悪臭に満ちております。…わたしたちは馬から降りて干魚の梱(こり)でいっぱいの粗末な平屋に入りました。そこは強烈な悪臭がたちこめて…。坂下はマラリアに冒されています。マラリア熱があまりに流行し、政府は追加の医療補助員を送りこんだほどです。…空気がかすむほど蚊の大群がいます。むんむんと暑くてつらい夜をすごしたわたしは翌朝早く起きて出発するのをうれしく思いました。…たっぷり二千人の人々が集まっていました。馬に乗ったあと、わたしは鞍の突起にかけてあるケースから望遠鏡を取り出しかけました。すると、野次馬が老いも若きも全速力で逃げまどいました。…みんなはわたしがピストルを取り出し脅そうとしていると思ったとのこと。」
髙島さんによると、強烈な悪臭の干魚はたぶん身欠き鰊か干鱈の臭いだろうとのことです。
京都では、新島襄、八重夫妻に歓待されたそうです。
近いうちに「日本奥地紀行」を購入しぜひ読んでみたいものです。P164には田島が出てくるとコメントを下さった方もいらっしゃいました。田島は母の出身地ですので興味がそそられます。
そして、髙島さんの次のページには田崎光男さんの『交響曲「第九」初演の地 徳島を訪ねて』のご寄稿があり、これまたたいへん興味深く拝読いたしました。私は映画『バルトの楽園』を観て初めて松江豊寿氏を知りました。一緒に観に行った夫とともに感動の渦で会場を後にしたことを覚えています。クラシック音楽、大好きです。
次回の総会等の集いでは、ぜひ皆さんにお会いしこれらについて歓談できます時を楽しみにしております。
島崎陽子