東京福島県人会 2026年年頭の挨拶
皆さん明けましておめでとうございます。
昨年も地球温暖化の影響からなのでしょうか、長い夏を脱していよいよ秋を楽しめるかと思っていたが、あっという間に秋が去り、一気に冬が来てしまった。それでも関東地方は恵まれていた。関東以外では各地で水害が頻発し災害に苦しめられた1年であった。
ところでふるさと福島は引き続き人口が減少している。 この間は福島民報の方がこられて、私が理事長をしている大学は、福島県から入学した生徒が250名余と全国の大学の中で最も多いが、そのうち故郷福島に就職するために帰る者は、このところゼロだということであった。 故郷に就職したいような職場がないのだから致し方ないと片付けるのは、故郷福島に申し訳ないように思う。 しかし近年は帰ろうと思えばいつでも、新幹線や車で2~3時間もかければ、気楽に家族に会いに行けるという距離でもあり、県外就職選択の安心感につながっているのではないか。
その点我々の世代が就職した当時は、高校へ行くため故郷に残った私は、集団就職列車で上京する友人たちを駅まで見送りに行った。 そして正月に帰れる友人はまだ幸せのほうで、帰れなかった友人のほうが遥かに多かったように思う。 我慢強いのはいまなお県民性。 一度も故郷帰りをしなかった友人の一人は、70歳になったとき私が幹事となって開いた東京での同級会に参加してくれた。 かつて中学時代の修学旅行で回った東京の名所をはとバスで回ると、皆、童顔が戻り彼を歓迎した。 その夜会食の席で彼の話に仰天し、彼なら当然と合点したものでした。 彼はとび職となり、なんと本四架橋や、下関・九州間の海峡橋など4か所のてっぺんに彼の名が刻印されているとのことであった。 故郷に帰らずとも立派な仕事をしてきたのだ。
アメリカのイエール大学で活躍した二本松出身の朝河貫一博士は、たぶんたった1回の帰国ではなかったかと思う。 安達郡の大玉村から21歳でペルーへの移民となりマチプチ村を一大観光地にした野内与吉村長も帰国は亡くなる1年前に実現した。 野口英雄博士も迎えに来た母親の帯代わりの縄の姿を遠目に見やって過ぎ去ろうとした親不孝ぶりはあまりに有名である。 それでもお札に登場できた福島県唯一の偉人である。
故郷に甘え、或いは親への手助けをよしとするのか、涙をこらえながら自分の選択した道をひたすら追うのか、結局これは選択ではなく宿命ではないのか。
令和8年 1月
東京福島県人会 会長 安齋 隆










